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2008年7月 4日 (金)

書くこと

夏期講習の国語指導では、毎年『書くこと』に力を入れています。書く習慣がつくかつかないかで、人生が大きく変わってくる、と言っても言い過ぎではないと思います。

今回の試験対策指導でも感じましたが、試験前に、例えば歴史の重要事項や年号を、テキストを見ただけで覚えてしまう生徒がいます。それでいい得点を取ってしまう。それはすばらしいことですが、わたしの指導経験からすると、そういう生徒は試験が終わると覚えたことをすぐ忘れてしまう。実力として定着しない。学校のテストでは点数がとれても、模擬試験ではとれないことが多いように思えます。しかし多少時間がかかっても、手で書いて覚えると、しっかりと記憶に残る。身体全体で覚えることができる。わたしは断然手で書いて覚えることを勧めています。書く力は、生涯ずっと役に立ちます。

わたしもキーボードで文章をつくることが多いですが、手で書く時間もしっかりと確保したいと思います。

よく削った鉛筆をペン立てに数本たてておく。真っ白な紙を机の上に数枚おいていおく。いつでも書ける準備をしています。

2008年7月 3日 (木)

もうすぐ夏休み

期末試験が終わればもうすぐ夏休みです。わたしたちは夏期講習の準備にはいります。

夏休みは集中して勉強するいい機会です。特に受験生は夏が勝負。苦手な科目を克服したり、徹底して総復習したり…やることはたくさんあります。でも受験生以外の中・高生は部活の予定がつまっている場合もあるでしょう。夏休みはほとんど部活!という生徒もいます。打ち込めるものがあるのはいいこと。どんどんやってください。

部活、合宿、家族旅行で、夏期講習はほとんどいけませんという生徒もいます。そういう場合には、自分で勉強するポイントを指示して課題を出します。生徒たちはそれぞれやりたいこともあり、ずっと勉強…というわけにはいかない。(受験生でなければ…) でも、2学期に望み通りの成績をとるためには、今やっておくべきことは当然ある。それを明確にしてやり方を説明します。わたしたちは生徒のコーチやコンサルタントという立場で、一緒に予定を考えて、具体的な計画を立てます。たとえ講習に来られず、部活三昧の夏を過ごしても、勉強に遅れがでないように的確なアドバイスをするのがわたしたちの役割のひとつでもあります。

夏休みには勉強の計画を立てますが、その計画をすべてやり遂げようとは思わないこと。絶対計画通りにはいきません。野球でいうところの、打率のような感覚でいてください。この計画の6割をこなすことを目標としよう、最低でも3割以下にはしないようにしよう、という程度のゆるさでいきましょう。全部やろうとすると2~3日で挫折して、そのあとは無計画になってしまいますから。ただ学校の宿題だけは、早めにやってしまいましょうね。

2008年7月 2日 (水)

暇ではないですよ

「先生たちは何時に起きるんですか?」「昼間は何やってるの?」と、ときどき生徒たちから聞かれます。教室に生徒たちが来るまでの時間、わたしたちがどんなふうに過ごしているのか気になるようです。中には「パチンコでもしてるの?」という子もいます。よっぽど暇だと思っているのでしょう。(わたしはすべての賭け事とは没交渉なので、パチンコなど絶対にしない!)

やることはたくさんある。授業の準備は時間がかかる。万全に、と思うときりがないのです。若いころはあまりにオリジナルなものにこだわり、たとえば夏期講習の前日、教材を作っていたら、いつのまにか徹夜になり、昨夜帰っていった生徒が「おはようございまーす」って入ってきたことがありましたっけ。たしかその日そのまま授業を10時間くらいして、夜にはまた翌日の教材を作る、という無謀なことをしていました。

今はそういうことはしていません。世の中には質の良い問題はたくさん作られていて、それらを取捨選択して、どういう順番でどのレベルのものを与えてどう解説するか…ということのほうが重要だからです。良問であれば、オリジナルかどうかはあまり関係がない。

教材以外にも、知識は常に更新しておかないと。たいした勉強もしないでいつも同じような説明ですます、ということでは自分の仕事を否定していることになりかねません。それでは生徒と向かい合ったとき、オーラや迫力が出てこない。

また秋以降は私立中高の塾対象入試説明会にできるだけいきます。その場でだけ出題のヒントを発表するということもあるからです。模試業者の入試情報説明会もある。秋からは補習も増えて、休みもだんだんなくなる。最近人気の出てきた公立中高一貫校の入試問題を分析したり、志望校選定のアドバイスも保護者のかたと頻繁に行ったり。わたしは去年の11月から入試が終わるまで、お正月以外はほとんど休みませんでした。授業関係以外でも、法人で教室をやっているのですから、運営上のさまざまな仕事もある。

生徒の皆さん、そういうわけで決して暇ではないのですよ。どんな仕事でも手を抜こうと思えば暇になり、一所懸命になればやるべきことがたくさん出でくるのです。きみたちの勉強も同じでしょ?

2008年7月 1日 (火)

短歌はつまらなくない

公立中学は期末試験の最中です。当然試験対策で多忙です。わたしの教室では試験前は過剰なくらい面倒みます。

中2では短歌が国語の試験範囲になっている中学が多く、生徒たちはみんな「苦手だ、よくわからない、つまらない」といいます。それはそうでしょう。ふだんの生活で短歌なんかには触れませんから。小説でさえほとんどの子たちは読まないのに、短歌なぞ興味の外のはるか彼方です。点を取るために、生徒たちは、句切れとか体言止め、つまり試験に出そうな技法や、解釈だけ覚えます。味わうなんてことは全くなし。

しかし、短歌はいい。確かに教科書に載っている歌はあまりピンと来ないでしょう。でも石川啄木の「一握の砂」を一通り読んでみると、こんな歌がある。

 かの時に言ひそびれたる 大切の言葉は今も 胸に残れど

 死ぬまでに一度会はむと 言ひやらば 君もかすかにうなづくらむか

わたしは高校生の時に通学の電車の中で読んでいて、ジーンときた思い出があります。もちろん周りに読んでいる友達はひとりもいなかったので、感動を語り合うことはなかったけれど。

また吉井勇の歌集「酒ほがひ」や「昨日まで」にある歌です。

 わが耳に夜がささやくとうたがひぬ傍らにある君を忘れて

 くちづけを禁ぜられたる恋人はひと日ひと日におとろへにけり

 珈琲の香にむせびつつものがたるわが恋がたり聴く人もなし

石川啄木はもちろん、吉井勇も高校入試に取り上げられることがあります。試験のためだけでなく、少し広げて読んでみると、いろいろと発見があります。そういうことはとても大切なのですが、そこまでもっていくのはなかなか難しい。

また石川啄木は苦労して貧乏のまま死んでいった、というようによく書かれていますが、実はめちゃくちゃな人で、朝日新聞社から給料が入ると、ほとんど遊びで使ってしまう。衝動買いしたりお酒飲んだりで、生活費がなくなって前借りをするのですが、それも遊んじゃう…という人だったようです。「働けど働けど…」と歌ってますが、本当は無駄遣いばかりしていたのですね。「じっと手を見る」というその「手」は真面目に働いていた手ではなかった。そういうことも教科書に書いてあったら、生徒たちもおもしろがるでしょうね。

2008年6月30日 (月)

声を出して文章を読む

年齢を重ねると、ものの名前を忘れてしまうことが増えてきます。えーとなんだっけ、ほらあれあれ…って感じです。私的な時間はいいですが、教室で生徒の前でこんな感じだとみっともない。

また私の場合、同じ本を二冊買ってしまう、ということがときどきあって、これには落ち込んでしまう。今はアマゾンやセブンアンドアイにネット上で発注することが多く、現物を手に取らないで買うことが増えてきたということも原因の一つだと思いますが。本が届いたときにすぐ気がつけばいいのに、読み始めてから何か既視感があることに気づく、という反応が遅いパターンもあり、そういうときは「ああおれはダメな人間だ」と思います。

対策としては「表現読み」をすること。これは日本コトバの会でやっている方法で、一種の音読ですが、本を自分で表現しながら読む。「ナカミをアタマに浮かべつつ、自分の声で表現する」やり方です。(大久保忠利著作集第一巻国語教育1より) これをときどきやります。毎日やり続けるとかなり違ってくるのが実感できます。頭が冴えてくる感じがする。

以前国語が苦手な生徒には、一緒に音読を繰り返して指導してきました。わたしも生徒も文章をかわりばんこで声を出して読む。設問もひとつひとつ声に出して読む。答も書く前に声を出して言ってもらい、なぜその答になるのかをはっきりとした声で説明してもらう。国語が苦手な場合は読んでいるようで読んでない。黙読で字面を追っているでけで、意味があまり頭に入っていないという場合が多い。そういう生徒には音読を中心とした指導で効果があがりました。一緒にやっているわたしも、言葉がぱっぱっと浮かぶようになりました。

さて、またそろそろ自分のためにも「表現よみ」をしないと。どうせなら文体のすばらしい小説家の文章がいい。梶井基次郎あたりではじめてみたいと思います。

2008年6月27日 (金)

中学受験をするかどうか

夏休み前は当教室にも入会の問い合わせが増えます。

保護者に方には教室までいらしていただき、カリキュラムなどよく説明します。本人には体験授業を受けてもらいます。

小3~4年生の場合、お母様がたは中学受験をさせるかどうか…ということについての質問がよくでます。入会前なので本人の潜在力をつかんでませんから、具体的なアドバイスは申し上げられませんが、だいたい下記のような話をしています。

中学受験は3つの要素、①学力②体力③精神力が必要です。①学力は、これから強くしていくもの。子どもたちの特性に応じたいろいろなアプローチがあります。②体力は、塾にたくさん来ることになるし、長時間勉強するのには必要です。数分しか座っていられない子もなかにはいます。③精神力は、たとえば夏休みに仲のいい友達が遊んでいるのに、自分は勉強しなければならない。そのときに何のために勉強しているのか、という目的を理解してがまんできるか、ということになります。気持ちが幼いとがまんできません。この3つの要素を考えて、ウチの子は大丈夫だろう…と思われれば、一緒に挑戦しましょう、という話になります。

わたしは私立中学の塾対象説明会などにはなるべく行くようにしています。やはり複数のプールや体育館、充実した設備の理科室や図書室、床がきれいで植物園みたいなロビー、豊富な種類のクラブ活動、ひろいパソコン室や学食などを見ると、こんなところで中学生になるのは幸せだなあ、と思います。でも子どもは伸びる時期がいろいろなので、必ず中学を受けた方がいい、ということでもない。

公立中に行けば、私立に行くのと違った戦略でのぞめばいいこと。たとえば都立の有名高を狙う…という道があります。公立中でよく勉強する生徒は上位2割くらいだけです。そのなかでよい成績を取るのは、それほど難しいことではない。定期試験も基礎問題が多い。

中学受験をするかどうか。勉強して試験を受けるのは本人ですから、状況をよく考えて、悩みながら決めるしかないですね。

2008年6月26日 (木)

夜スペ

新聞や雑誌を捨てる前に、気になる記事はよく切り取っておきます。昨日それらを整理していて、産経新聞の今年6/11の「学校の塾、どこで線引き?」という、杉並区立和田中の「夜スペシャル」についての記事を読み直しました。

識者の意見として、賛成の梶田叡一氏(兵庫教育大学長)は、「勉強したい子供のことを考えれば良いことだ。費用の高い塾の通わせわれる親ばかりではない。安全も確保されており、夜、塾の往復の心配もない。時間は待ってくれない。どうやって子供に勉強のチャンスを作ってあげるのか。飲み込みの早い子供もいれば遅い子供もいる。それを教えてあげることの何がいけないのか。」と意見を言っています。

また反対の意見では、藤田英典氏(国際基督教大教授)が、「かつて日比谷高校を頂点に東大合格者数でランク付けされ高校教育がゆがんでいったように、公立中学がゆがむ心配がある。」「文部科学省が「生きる力」「自ら学ぶ力」と言っても結局、受験が唯一の物差しになっている」と言っています。

わたしの考えは賛成の梶田氏の意見にかなり近い。生徒ひとりひとりに目線をおけば、賛成の立場になります。勉強は受験のためだけではないから反対という考えは間違ってはいませんが、現実に受験があって避けて通れないのだから仕方がないじゃないですか。

文部科学省の「生きる力」「自ら学ぶ力」ということがよくわかりません。果たして「生きる力」「自ら学ぶ力」など教えることができるのでしょうか。

そういうものは、学校の内外で友達と仲良くしたり対立したり、また先生(だけじゃなくまわりの全ての大人)にも、立派だと思える人もいれば、そうでもない人もかなりいることを知ったり、勉強はがんばれば点数が上がることもあるが、好きな異性にはいくらがんばっても気に入ってもらえないこともあることを経験したり、部活の試合でみんなで一丸になって戦って負けて本当にくやしい思いをしたり…というようなことから、少しずつ身についていくものではないかと思います。

今回の「夜スペ」に「生きる力」を持ち出しても、わたしにはピンとこないですね。

「夜スペ」はサピックスの講師がやっているとか。きっと授業内容はいいのでしょう。一度見学してみたいな。

2008年6月25日 (水)

真っ当な人間を送り出す

中学入試問題の国語では、養老孟司さんの文章がよく使われます。わたしも『唯脳論』をはじめ、つい最近評判になった『バカの壁』など数冊読みました。語り口が平易で、着眼点がするどく、大変勉強になります。

先日授業で使用したテキストでも、養老さんのこんな文章がありました。

「何かあれば恩義を返す。そこには明らかに意味がある。教育ということの根本もそこにあって、人間を育てることで、自分を育ててくれた共同体に真っ当な人間を送り出す、ということです。そしてそれは、基本的には無償の行為なのです。」

ときどき生徒たちから、「ウチの親は勉強しろ勉強しろってウザイ」と愚痴を言われることがあります。

でも君たちのお父さん、お母さんは、自分たちの家族のことだけを考えているわけではなくて、根本には「自分を育ててくれた共同体に真っ当な人間を送り出す」という使命を感じておられるんだよ…と、何かの機会で話してみよう。

われわれもその使命のためにがんばりたいと思います。

2008年6月24日 (火)

ことばの授業

中学の国語では「対義語・同義語・類義語」を勉強します。また中学受験をする生徒たちにもこれは重要な項目で、各私立中学の入試では必ず出題されています。

中学生はまだしも、小学校の5~6年生に難しい語句の使い方を教えるのはなかなか大変です。ふだんの子どもたちの会話の中で、「抽象と具体」「需要と供給」などということばは出てこないからです。しかし国語力=語彙力ですから、避けて通れません。

語句の意味を教えるには、そのことばの使い方のいろいろな例が必要です。

例えば宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」では、古い地層で化石を掘っている学者に、カンパネルラとジョバンニが化石で何をするのか質問します。すると学者は「…証明するに要るんだ。ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で百二十万年ぐらい前にできたという証拠もいろいろあるけれども、ぼくとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風が水か、がらんとした空かに見えやしないかということなのだ。わかったかい…」と答えます。(北十字とプリオシン海岸)

「ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層」ということは「主観」であり、「ぼくとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見える」となれば「客観」ということになります。またの学者のことばには、データを積み上げて物事を証明するという科学的な態度が説明されています。

「主観と客観」の例は他にもいろいろとありますが、わたしは「銀河鉄道の夜」の世界観が好きなもので、ときどき例に出して説明します。

ことばのさまざまな使い方の例を考えたり集めたりすることは、わたしには楽しみのひとつでもあります。

2008年6月23日 (月)

数学の美しさと楽しさ

光村図書の国語教科書(中2)に、谷川俊太郎さんの詩「春に」が載っています。

谷川俊太郎さんはわたしが大好きな詩人です。わたしは14歳のときに「二十億光年の孤独」を読みました。詩にソネットなどの形式があることは、谷川さんの詩で知りました。それから今まで新しい詩集がでると読んできました。谷川さんが南阿佐ヶ谷在住で、豊多摩高校卒業ということも親近感を持つきっかけでした。一番のお気に入りの詩集は「世間知ラズ」です。

谷川さんは平易な言葉を使っていますから、読みやすい。わたしは次のような表現が好きです。

とりあえず / くつろいで / ここでここの / 風をかぐのさ / ここでここの / 光を見るんだ 「ここ」より

何をするのも面倒くさいが何かをせずには一日は始まらない / フィルターの中に挽いたコーヒーをいれてそのままじっとしている   「立ちすくむ」より

谷川さんは「ほぼ日刊イトイ新聞」で数学の勉強に関することを書いています。谷川さんも数学が苦手だったのですね。

「…子どものころ数学の実用性と同時に、数学の美しさと楽しさを教えてくれれば、数学嫌いにならずにすんだのになあと残念に思うことしばしばです。」

わたしたちの仕事は目的は明確で、①点数を上げること、②志望校に合格させることに絞られます。谷川さんの言うように「数学の美しさと楽しさを教える」とはかなり離れてしまっているかもしれません。しかしそういうことも忘れないようにしたい…と思いながら期末試験の対策に取り組んでいます。

«期末試験をがんばりましょう。